南西部がポル・ポト政権によって優遇されたのは、早い時期からクメール・ルージュの「解放区」となり、73年からサハコーの建設と農民の集団化が進められたことに加えて、タ・モクとポル・ポトが早くから信頼関係を結んでいたためだろう

発表時間:2024-05-06 05:52:29